私の住むまち
平成8年広島市安佐北区まちづくり委員会が発足、それに参加する事により、 所謂よそ者の私もこの可部町の町を見つめるチャンスを頂いた。
広島から山陰に通じる交通の要所として、江戸時代から栄えたところである。 古い街道には今も残る「卯建(うたち)」がある。
今も残る「卯建」
切妻造り、かわらぶき屋根、中二階建ての背の低い二階建て、二階部分の 両横の端壁の様に突き出したところが「卯建」である。
一般に防火壁の役目と言われているが、別説では外部の侵入を防ぐためと 言われている。
上方商人と同じく独立して一軒家を構えるのが出世とされ、 それが出来ないと「うだつがあがらない男」と言う言葉に表現されたと言う。
70軒あったと言う卯建のある家も今では時代と共に姿を消しつつある。

可部のバス発祥地
明治37年1月広島県で初めて横川
可部間を16人乗りの
蒸気自動車が運行された。
まちづくり委員会から発展した「可部からすの会」が100年前の レトロバス復元に力を入れ着々と進んでいる。
国産乗り合いバス約100年ぶりに復元
レトロバスが2004年3月28日JR横川駅に出現、「レトロバスの復元の会」が手作りで地域おこしの夢と浪漫を乗せて、横川ー可部間を走らせた。
軽トラックをベースに木材で完成、全長4,3メートル・ 公道走行の許可を得てないバスは大田川等の河川敷をイベントを繰り 広げながら、メンバーが引っ張り、半日掛りで夕方可部に到着した。

大文字祭り
今から270年前、可部町に大火があり町の大半を焼き人々は 恐怖におののいた。
可部は火を用いる伝統的な鋳物産業があり、住宅も密集しており 対策に知恵を絞った。
そこで町から鬼門の方角に当たる高松山の頂上近くに神社を建て 「火伏せの神」として京都の愛宕山神社の火の 迦具士神社を勧請し守った。 その為、京都の大文字の火祭りをそのまま伝承している。
毎年5月最後の(土曜)(日曜)に行われる。

ご覧のように可部の町は四方が山に囲まれた盆地です。夏は暑く冬は 大変冷え込みます。今の時期は最高です。川では鷺が舞い山は緑に 染ります。
平成19年12月3日やっと待ちに待った市と国土省共同でJR可部駅の西側広場にバス発着整備が整った。 オープンセレモニーに参加したかったが、地域のシニアサロンと重なり 残念にも諦めざる終えなかった。(4日中国新聞朝刊より)

可部の高松山と寺山をシンボル化した洋風の時計f台のある モダンな建物大田川をき交った川舟をモチーフした車止めやベンチ等 可部の地域性が現れている。
